Tuesday, March 17, 2015

確かに死なれたイエス(ヨハネの福音書19;31-42)

確かに死なれたイエス(ヨハネの福音書19;31-42)34節『しかし、兵士のうちのひとりが、イエスのわき腹を槍で突き刺した、すると、ただちに血と水が出てきた』ある友人が言ったことですが、「私が死ぬときには静かに死なせてください」と祈ったそうです。人にとって、クリスチャンにとっても、死は未体験のもです。クリスチャンが死の後に天国があると信じていても、感情的には恐れがあるかもしれません。そのような中で、イエスは確かに神様の子でありながらも、私のために(私たちのために)十字架で死んでくださいました。それは、確かな死でした。医学的に、人の体の中の水と血は混ざったり、しないそうです。混ざってしまうときは死を迎えたときだそうです。ですから、イエスが死んだときに「槍で突き刺したときに水と血が混ざって出てきたのは」死んだ、ということです。仮死状態ではなかった、ということを証明します。多くの否定的な意見を言う人が仮死状態でなかったのか、などいろんな方法で否定の意見を述べます。しかし、イエスは確かに死んでくださったのです。クリスチャンになって長くたっていながら、イエ...スが死んだということをまだまだリアルに感じたり、考えることが深くなかった、と今朝のQTをしながら思わされました。そして、36節『このことがおこったのは、彼の骨が一つも砕かれないという聖書の言葉が成就するためであった』とあり、また37節「また聖書の別のところには、彼らは自分たちが突き刺した方を見る」と言われているからである、とあります。死んだ後に自分が思うようにすることができません、仕掛けやトリックをしようとしても、反対勢力のユダヤ人たちがいて、死刑を執行するローマの軍隊がいては何もすることが出来ません。イエスは確かに聖書の言われるとおりに十字架で死んでくださいました。それは、私たちの救いのために何一つごまかしのない、嘘のない、ずるのない、真実な肉体の、実際の死でした。今朝、その主イエスの死に感謝、賛美をささげます。私のために死を体験し、そこまで神様の心に従順して、愛してくださったイエスに、涙の感謝をささげます。もっと、主イエスの愛を知らせてください。
 

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