Everyone on the side of truth listens to me(ヨハネの福音書18;28-40節)今日のQT箇所には、①JEWS、祭司長たち、②ピラト、③イエスがでてきます。イエスはカヤパのところで不当な裁判を受けます。それは、公式な公示もなく、それこそ律法に定められていることをまったく守るどころから、イエスを殺すために徹夜裁判をしたのです。そこへ、ユダヤ人では死刑にすることが出来ないために、ローマ人の手を借りて殺人をしようとします。28節『さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。時は明け方であった。彼らは過ぎ越し食事が食べられなくなることの無いように、汚れを受けまいとして、官邸に入らなかった』とあります、なんと言う外見だけの行動でしょう、イエスを、人を殺そうとしておいて、徹夜の中で秘密のカヤパのところで不法裁判(あらかじめ準備をしておいたのです)をしながら、人の目に見える時間、場所には宗教的な行為をします。律法にあるからといっても、そこには、神様への心がありません。真理に属していないと、宗教だけを...することになります。ひどい外見だけ、やっておけばいい、のだろ、という心の無い宗教主義で行いだけをします。汚れって何でしょうか?神様のいないことでないでしょうか!神様の義がないことでないでしょうか!義とは罪が一つでもあれば義ではありません。人間が行為だけで、義を行えるのでありません。義を作れるのでありません。ただ、お一人イエス・キリストだけが罪を犯さずに、義であられたのです。その方に頼るしかないことを示すのが律法です。イエスは疲労の中でピラトの裁判に答えます。ピラトはあなたは何をしたのですか?35節、たずねます。当たり前の、正しい質問です。そこで、イエスは『神様の国はこの世のものでない、私が王です、』と言われます。目に見えるJEWSとか、ローマ帝国とか、そのローマ帝国に任命されて総督をしているピラトとか、その人間の権威でなくて、世の中の目に見える権威でなくて、神様の国が私を治めているのでしょうか?その真理をもって生きているのでしょうか?霊的に私の心を治めていることを認めているでしょうか?この世のすべての権威を創られた、創造された主イエスを認めているでしょうか?その神様の真理にしたがって生きているでしょうか?神様の声にしたがって生きているのでしょうか?今日の黙想、適用は、①宗教学者のようにもしかして、形だけの奉仕をしていないのか?涙を持って、感動を持って毎週奉仕を、毎日の奉仕を使えているのだろうか?、②この世の宗教、人の目に恐れて、本当に恐るべき方である、イエスの真理に属し、そのSIDEにたっているのか?、③宗教生活をして、あの人、この人と裁いていないのか?、許していない人はいないか?愛します、悔い改めます。④悪い宗教者たちさえも、神様の救いの計画をなすためのつかわれました。そのように、悪いこと、難しいことへも、神様の計画を求めて祈っているのか?期待しているのか?⑤神様の義で歩んでいるのか?人間の義を建てようとしていないか、神様の義だけ生きているのでしょうか?今日、主イエスの真理のSIDEにたたせてください、BELONGさせてください。自分の義ではなく!
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