真の権威に立脚する時に恐れがない!(ヨハネの福音書19;1-11節)
今日の聖書箇所ではまず、1節『そこで、ピラトはイエスを捕らえて、鞭打ちにした』とでてきます。ピラトはイエスに罪が無いことを知りながら暴行を加え、兵士たちに『いばらの冠をかぶせ、ユダヤ人の王様ばんさいい』と嘲ります、①罪を知っていながら、黙っていたり、悪いことをするのは罪になります。それも、人の目への恐れです。また、世の中の謝った権威の上にいるために、違う行動をしていしまいます。次に、ピラトは祭司長や役人たちに『イエスを見せて、罪が無いことを示すために』と辱め、痛めつけたイエスを見せます、これくらいで我慢しろ、というわけです。しかし、それでもイエスを十字架につけろ、と主張する彼らに『自分たちの責任でしろ』と自分の負うべき責任を回避しようとします。②ピラトの権限は、ローマ帝国に与えられたものです、自分のなすべき総督としての責任から逃げようとします。それも、ローマ帝国の目を恐れて『上手に収めないといけない』またユダヤ人たちには彼らの行動に、言うべきこと、すべき責任を負うことができませ...ん。また、ユダヤ人たちは7節『私たちには律法があります』と、神様のくださった律法なのに自分の権威の利用のために、使っています。律法を持ちながら自分の罪を隠し、人を殺す段階で無理があります。③聖書を勝手に利用したり、自分勝手に神様を修正しようとする時に大変なことが起こります。この中で、ただ一人恐れないで、しかも十字架の死を前にして生きる人がいます、それは、ただ一人イエスです。何故でしょうか?④それは、この世の権威は全て神様から来るものであること、知って従っているところから来ます。だから、恐れがないのです。真の権威に立脚する時に恐れがないのです。この世の権威、パワー、プレッシャーが来ても、その究極的な神様の権威にひれ伏す人には、恐れがなく、かえって勇気があふれます。そして、何よりも⑤イエスはいわれの無い、理由の無い苦難の前にも、殴られ、馬鹿にされ、あざけられても、十字架の前に従います。→私たちはどうでしょうか?苦難の前に理由が会っても、嫌なのでないでしょうか(当たり前か?!)。しかし、イエスの苦難は理由の無い不当なものでした。いわれの無い苦難、痛み、無視を受けても、主イエスのために甘んじて受けいるでしょうか?イエスの苦難を黙想して耐え忍んで、乗り越えているでしょうか?主イエスが与えたものとして、主イエスの苦難に同席しているでしょうか?そして、そこに真のAUTHORITYを確信して、神様に従っていきます。
今日の聖書箇所ではまず、1節『そこで、ピラトはイエスを捕らえて、鞭打ちにした』とでてきます。ピラトはイエスに罪が無いことを知りながら暴行を加え、兵士たちに『いばらの冠をかぶせ、ユダヤ人の王様ばんさいい』と嘲ります、①罪を知っていながら、黙っていたり、悪いことをするのは罪になります。それも、人の目への恐れです。また、世の中の謝った権威の上にいるために、違う行動をしていしまいます。次に、ピラトは祭司長や役人たちに『イエスを見せて、罪が無いことを示すために』と辱め、痛めつけたイエスを見せます、これくらいで我慢しろ、というわけです。しかし、それでもイエスを十字架につけろ、と主張する彼らに『自分たちの責任でしろ』と自分の負うべき責任を回避しようとします。②ピラトの権限は、ローマ帝国に与えられたものです、自分のなすべき総督としての責任から逃げようとします。それも、ローマ帝国の目を恐れて『上手に収めないといけない』またユダヤ人たちには彼らの行動に、言うべきこと、すべき責任を負うことができませ...ん。また、ユダヤ人たちは7節『私たちには律法があります』と、神様のくださった律法なのに自分の権威の利用のために、使っています。律法を持ちながら自分の罪を隠し、人を殺す段階で無理があります。③聖書を勝手に利用したり、自分勝手に神様を修正しようとする時に大変なことが起こります。この中で、ただ一人恐れないで、しかも十字架の死を前にして生きる人がいます、それは、ただ一人イエスです。何故でしょうか?④それは、この世の権威は全て神様から来るものであること、知って従っているところから来ます。だから、恐れがないのです。真の権威に立脚する時に恐れがないのです。この世の権威、パワー、プレッシャーが来ても、その究極的な神様の権威にひれ伏す人には、恐れがなく、かえって勇気があふれます。そして、何よりも⑤イエスはいわれの無い、理由の無い苦難の前にも、殴られ、馬鹿にされ、あざけられても、十字架の前に従います。→私たちはどうでしょうか?苦難の前に理由が会っても、嫌なのでないでしょうか(当たり前か?!)。しかし、イエスの苦難は理由の無い不当なものでした。いわれの無い苦難、痛み、無視を受けても、主イエスのために甘んじて受けいるでしょうか?イエスの苦難を黙想して耐え忍んで、乗り越えているでしょうか?主イエスが与えたものとして、主イエスの苦難に同席しているでしょうか?そして、そこに真のAUTHORITYを確信して、神様に従っていきます。
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