不敬虔の者のために死なれたイエス(ローマ5;6-11)6節『私たちがまだ弱かった時、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました』キリストは、神様の定められた時に(それは、創造のときから人間が堕落したときに)人間を救う、と決めてくださいました。どうしても、あなたを愛している、あなたを取り戻す、と決められました。『正しい人のために死ぬ人はほとんどありません』これは、事実だと思います。『情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう』これも、事実だし、あるいはいるでしょう、が正しいと思います。しかし、宣教の愚かさは、イエスの犠牲を持って、私たちが神と和解することが出来たのです。私たちの中には、救われるべき理由が何一つありません。神様にとって、して得なことが何一つないのです。神の怒りを取り除くのは、キリストの血だけです。神様の命をえるのはキリストの命だけです。今日、私が敵世要すべきことは何でしょうか?それは、①私にとって、損だと思えること、人に犠牲をして愛すること、②主イエスを大いに喜ぶ人生を持つこと、③その大いに喜ぶ理由であるイエスについて伝えていくことです。④その主イエスに従うことです、今日のリビングライフの例話のように、リンカーンに助けられたもと奴隷だった人がリンカーンに喜んで、自らついていったように、私を自由にした主人、最高の主人についていきます。
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