喜びの叫びが、地を裂いた(1KINGS38-53)ソロモン王の即位にさいして、2種類の反応があります。①ダビデ王とイスラエルの民は、大喜びで歓声を上げて「地がその声で裂けた」とあります。ダビデ王はそのBEDの上で主を礼拝します。彼のすばらしいところは、主の祝福、契約、を次の世代に、もちろん、神様の御心の世代にバトンタッチしたときにねたまず、喜び、その祝福がどれほど素晴らしいのか?知っていることです。そして、最後まで堕落せずに主を礼拝したことです。彼の人生に失敗がなかったわけでありません。しかし、過ちを犯したときに悔い改め、大事なときに主に選び、従うことを知っていたことです。もう一つの反応は、②アドニヤと彼に組した人々の反応です。彼らは恐れて、身震いして、逃げていきました。神様の心を聞きもせずに、勝手に王位につこうとして、王についていって、自分の権力を増やそうとしていったJOABなどの、人々です。神様の心がなされたことに喜ぶ人に祝福があります。また、神様の御心にたいして自分勝手な反対勢力がたっていたときも、神様の御心が逆転でなされるときに喜べる人が...幸いです。たとえ、自分にとって反対の勢力、勝手な攻撃があっても、神様の御心は必ずなされます。今日、主のみ心を信じていきます。どんな反対の中でも、主のみ心は必ずなります、その日を信じて、どのような苦しい状況の中で信じていきます。本当に大変ですけど。聞いているでしょうか?!神様の導きを歩んだときに、なされた神様の喜びの声を!神様の心の王様、リーダーシップが立てられたとこに喜びを!「喜びの声が、叫びが、地を裂いた」とあります。王様の座とは、人の有力さや、有能さや、知恵で勝ち取るものでなくて、主イエスが、神様が油を注がれた、祝福のあるかどうかです?そこに、喜びが地に満ちます。また、今日べつに注目すべきことは、③ソロモンのリーダーシップです。それは、祭壇の角をつかんで自分の命を助けることを求めたアドニヤに対する処分です。祭壇の角をつかむ、という宗教的な、冒涜的なことをしたアドニヤに王位につくこの日は、あわれみをそそぎながら、52節:『彼がりっぱな人物であれば、髪の毛一本でも地に落ちることがない』『彼のうちに悪があれば、彼は死ななければならない』みごとな、立派な裁判であり、リーダーシップです。彼の生き方に責任を問います。はたして、私のリーダーシップはどうでしょうか、恥ずかしいしだいですが、主にあって成長して、変えられていきます。
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