Sunday, April 12, 2015

何のために神様の神殿を建てるのか(1KINGS6;1-13)

何のために神様の神殿を建てるのか(1KINGS6;1-13)イスラエルの民は、出エジプトから480年、ソロモン王に即位してから4年目に、とうとう多くの準備、整えられることを経て、神殿建築にかかりました、そのデザイン、設計を書された部分を読みながら、どれほどこの設計に心がこもっていたのか?普通の教会の設計でも、いろんなこだわり、信仰を持ってつくるのに、神様のために神殿はどれほど期待して、最高の、最善のことをしたことだろう、と思います、また、どれほどうれしかったことであろう、と思います、ところで、主なる神様はこの神殿建築のときに「語ってくださいます」それは、神様の命令に歩み、守るなら、ダビデへの約束(永遠の王権、そしてメシアがこの王国の子孫から出てくる)ことでした。また、主がイスラエルの中に、民の中に共に住まわれることでした。神殿も、主が臨在されなければ、意味がありません。どんなに素晴らしい神殿を建てても、主への従順が泣ければ、主への共に生きることがなければ、むなしい宗教です。今日、教会を立てるときに、仕えるときに、主への従順、主への共に生きる祝福を受けていきます。
 

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