Thursday, April 16, 2015

私の名でなくて主の名があがめられることを願ったDAVID(1KINGS12-21節)『

私の名でなくて主の名があがめられることを願ったDAVID(1KINGS12-21節)『主は暗闇の中に住む』12節といわれました、それは人間のところに偉大な創造主なる無限の神様を有限の人間の場所に納めきれない、そんな制限される方でないし、神様の栄光をもちきれない、ということです。
しかし、その中でイスラエルの全部族のどの町でもなく、神様はダビデを選ばれました。それは一方的な主の恵みで、選びですが、ダビデが誠実に、正義を持って、真心から主なる神様の前を歩んだからでもあります。そこで、ダビデは①イスラエルの神、主の名前のために宮を立てることいつも心がけていた。17節とあります。私は、主の名のためだけに、私の名前でなくて、主の栄光のあらわされるだけの礼拝する場所、臨在をされる礼拝、人生を、いつも心がけているでしょうか?その人生の中で、生き方の中で心がけているでしょうか?、ダビデはそのように生きました、そうしたら、神様は大きな祝福をくださいました!主のために生きることは本人のためにも祝福なのです。②しかし、主はダビデに言われました。あなたがたてはいけない、...あなたの子が立てる、と主は言われました。ここでも、主は主でした!ダビデにとってそれほどまでに愛した主に、仕えたい、と思ったことに、違うと言われたことはどれほどショックだったことでしょうか?しかし、ダビデは従いました。主は主です。神様の計画に従うときに本当の祝福が私の人生にも在ります。③そして、主の名、という言葉が繰り返されます。名前はと本質、その方のアイデンティそのものです。主のアイデンティ、目に見えない、無限の神様、有限の目に見える世界に縛らない神様、その方にために歩みました。主の名前のために歩んでいるでしょうか?④主の契約の箱が神殿に納められました。それは、480年以上前にエジプトから、脱出したときに、荒野でできた神様と神様の民の関係、約束、契約を入れたものでした。変わらない神様の愛、契約をつかんだのです。それは、ずっと変わらない神様の性質、約束によります。人間は失敗します。間違いを犯します。しかし、神様は変わりません。約束は変わりません。主の変わらない約束をつかみます。
 

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