最初から聞く気があったのか(1KINGS12;1-11)レハブアムは、ソロモンの跡をついで王になるために、イスラエルの全集団に会いに行きました。この時には、イスラエルの全集団はヤロベアムを逃亡先のエジプトから呼び寄せていました。そして、レハブアムに向かって『12:4 「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」と願い、要求しました。このようなときにどうすべきでしょうか?レハブアムは、未だに王権についてもいないのに、安定もしていないなのに、しかもイスラエルの全集団はUNDER THE TABLEではヤロベアムを呼んでいたのです、彼らの要求を聞くのが当たり前でないでしょうか?!それは、よく言う火を見るよりも明らかです。ソロモン王の政治は、繁栄の裏には、無理をし、過酷な労働をイスラエルにさせ、重いくびきを負わせたようです。それは、外国人を奴隷にしても、イスラエルの同国人を奴隷にしない、ということからも離れていたようです。レハ...ブアムは、ソロモン時代の長老たちにアドバイスを聞きました。12:7 彼らは王に答えて言った。「きょう、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」という、当たり前の、非常に知恵のあるアドバイスをしてくれました。しかし、レハブアムはこのアドバイスを拒否して、自分たちと同じ世代の若者にアドバイスを求めました。それは、未だに世界を知らずに、自分で何でも出来る、いまままでの世代とは違う、という心、そして繁栄の中、苦労や世間のすっぱい味を知らずに育ってきた人の力強い言葉でした(時に、古い壁やできない、と思ったことを取り除き、固定元年を壊して、新しいものを作ることがあります)。しかし、ここで思うことはレハブアムは自分の聞きたい言葉、自分のしたい言葉を言ってくれる人を探していたのでないか?ということです、その結果は、イスラエルの国を得るどころか、分裂させ(大きな責任です)、南ユダ王国しか残らない(それさえも、憐れみです!)ことになりました、今日、思わされたことは『自分の聴きたいこと』を言ってくれる人を探したり、あまつさえ、自分の聞きたい聖書の言葉を聞こうとしたり(まして、利用なんて大変なことになります!)ということはないか、ということです、客観的に見たらこんな簡単な決断を「自分のしたいとおり」にするなら、大変なことになります。ある人が言いました、どれが、神様の心か探すときに、自分の思いと反対のことをしたら「神様の御心」のことが多いよ、と。ある意味そうだと思います。今日、主の思いを聞くために従順に仕えていきます。
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