主が立てるのでないと何も出来ない(1KINGS9;1-9)ソロモンが、いかに誠心誠意をこめても、主が臨在されないのであれば、神殿もむなしいものです。また、立派な神殿を建てても、神様のおきて、命令を守らないのであれば、意味ないものです。何のための、神殿か分かりません、キリスト教は主教をするつもりも、神様は侮られるものでありません。そして、主なる神様は言われます、「いつも、私の目と心をここにおく」と。聖別された、と。主なるみや、教会は人間は以下に誠心誠意を尽くしても、それだけでできるものでありません、主なる神様が臨在されてこそ!の恵みがあってこそ!です。今朝、私たちの教会を立ててください、と祈りました、臨在してください。そして、もう一つは「まったき心を持って、正しさを持って(FAITHFULLY WITH INTEGRITY OF HEART AND UPRIGHTNESS)わたしのまえに歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めを守るなら」ということです。イチバンの祝福である神様の前に歩むこと、この地上でも神様のルールで生きる天国民としての人生があります。今朝、主の命令を守って歩んでいきます。
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