Whoever BELIEVES IN HIM(ヨハネの福音書3;9-21)紙は実にその一人子をおあたえになったほどに世を愛された。それが御子を信じるものが一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである」神様はどれほど私たちを愛されたことでしょうか?そのために、私の心臓の鼓動は波打っているでしょうか?感動して、どきどきしているでしょうか?神様の愛は、①人となって低いところ、私たちのところに来てくださいました(13節;しかし、天から下った者はいます。すなわち人の子です)その理由は、②天上のことを話すために、神様のことを体験して、証するために、地上に来てくださいました。地上で旧約聖書を与え、語れて、知っていても分からない私たちのために、③モーセが荒野でブロンズの蛇を上げたように、イエスも十字架であがられて(蛇のように、罪を、のろいを受けて)、④その証を、イエスの人生を、神様の愛を信じることで、誰でも、救われるように、救いの道を備えてくださったのです、何と感謝なこと、でしょうか!救われて当たり前なのでないのです、ありえない恵みです。恵みの上に恵みを受けたのです。しかも、今日の聖書箇所はNICODEMUSが相変わらず、地上のこと、肉体のことだけ、応えて、未だにイエスが先生、メシア、神様であることを分からずにいるのに、語り続けてくださっているのです。今日、救いの感動、どきどきを、伝えていきます、あきらめずに、愛し続ける主イエスの愛、仕える姿に、そのイエスの生きる証に歩んでいきます。(写真はペンシルバニアの劇場にて、すごかったですよ!)
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