宗教は人が作る、イエスのためにおこったキリスト教(ヨハネの福音書2;13-25)「ユダヤ人の過ぎ越しの祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。」13節、~「羊も牛や鳩を売る者たちと両替人が座っているのを見て」イエスは、神殿で宗教という名前を借りた商売人たち、を追い出しました。神殿には、PASSOVRをすごす雰囲気どころか、霊的なものはもちろん、礼拝が失われていました。神様と共にいるはずの、最高に聖い場所でないといけないところで、宗教という名前を借りた恐ろしい罪があったのです。この商売は宗教人である祭司たち、レビ人たちの許可かなしにはできません。ですから、ユダヤ人たちは「何の権威を持ってこのようなことをするのですか?」18節と言った訳です。①今日、主の前に宗教に陥られない信仰生活をしていきます。主との生きた関係を持って生きます。慣れた生活の中で、新鮮なイエスとの出会い、賛美を持ちます。目覚めていきます。そして、19-22節、そこで、イエスは自分が死んで3日のうちに復活されることを預言し、証されます。また、それは聖書からの預言であることを語ります(19-22節)。イエスは人間から何の証拠、あかし、受けませんでした。不完全な人間からの証によってメシアは建てられたのでなくて、完全に神様だけの証によってメシアでることを明らかにされたのです、宗教は人の造るものです、しかし、キリスト教は宗教ではありません、本当だから、真理だから起こってしまったものです。イエスのためにキリスト教が出来てしまったのです。生きている礼拝、生きている信仰生活、教会生活を目指して生きます。
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