Wednesday, January 21, 2015

神様の手にあるなら、神様が小さい私を通して働くなら(ヨハネの福音書6;1-13)

神様の手にあるなら、神様が小さい私を通して働くなら(ヨハネの福音書6;1-13)5節ピリポに言われた「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」6節「もっとも、イエスはピリポを試してこう言われたのである」8節「弟子の一人シモンペテロの兄弟アンデレがイエスに言った」9節「ここに少年が大麦のパンを5つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんな大勢の人では、それが何になりましょう」信仰者にとって、「自分が何をもっているのか?」また「どれだけ持っているのか?」のが重要ではありません!それじゃ、信仰のない人と同じです。誰の手にあるのか?誰の心、イエスの心が大事です!イエスの手にあるなら、小さい、少ない、相手にならない数は重要ではありません!主イエスの手にあるのか?主イエスはPHILIPにあえて質問されたのです!現実を考えたら、神様の奇跡を与えてください、と求めるように、信仰のチャレンジをできるように!群集たちはガリラヤから「しるし」みてついてきていたのです!主イエスはこんな小さい私を通して、大きいことをされようとして、また人間ではできない、神様の奇跡をあなたの人生の神様の軌跡を残したいのです。私にとって、少しチャレンジな、示されることがありました。人は笑うことでしょう、人間の前にすぐ答えがないと、いつ聞かれるの?というかもしれません。しかし、主が私(私たちの仕える教会の)の5つのパン、2匹の魚をもって、主に出るときに、感謝と分かち合い、腹いっぱいになるまで、LEFTOVERが12かごできるくらいまで用いてくださることを信じます。主は少年のささげものを何百倍、何万倍に用いられました、信じます!

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