イエスを第一にしているか?が行動の判断基準(ヨハネの福音書7章14-24節)今日は、家の教会の学び、交わりがあり、UP DATEが遅れました。そこでも、本当に素敵なことがありました。祈りの課題が答えられれたり、ハレルヤ!さて、今日のQTですが17節「誰でも神の御心を行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、私が自分から語っているのかが分かります。」18節「自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし、自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません」イエスは、神の子であるにもかかわらず、自分の栄光を求めたり、自分の利己心で動いたり、自分のことを語ろうとしませんでした。自己のことでなくて、神様のことだけを語りました!私たちはどうででしょうか?神様のことも語りながら、自分のことも話したり、自分が労をとったとか、混ぜ物をしていないでしょうか?大切なことは、①自分から出ているのか?②知識でなくて、人から聞いた話でなくて、神様から、聖書から聖霊により交わり、聞いたことだけを語り、行うのか?です。そこに、神様の国の広がりがあります。自分の国を、自分の一国1城のあるしになるために、クリスチャンは生きるのでありません。神様の心を行い、それを通して、神様の国を広げていきます。神様の国は、壁がありません。どこまでも、OPENです。なぜなら、神様の無限の愛で愛されているから、下手に守りに入ったり、恐れて壁を作る必要がないからです。今日、主の御心を行うために、純粋に求めます。そのために、まず悔い改めます。もともと、人間には罪があります。自分に栄光を返したい、欲望があります。主の前に悔い改めて、自分をおいていき、もっと、神様を体験していきます。イエスの栄光のために、いや自分とか関係なく、どうでもよく、イエスの栄光を喜んで生きます。
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