Sunday, January 18, 2015

神様の心だけを行う覚悟があるか?(ヨハネの福音書5;19-29)

神様の心だけを行う覚悟があるか?(ヨハネの福音書5;19-29)19節「~子は父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、同様に行うのです」父が子に見せたものは何でしょうか?それは、神様の愛です。どのように伝えられたのでしょうか?20節「父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。」神様はご自分の計画、仕事をなさる時に、愛を持って伝えられます、愛する関係だから、神様のことを任せるのです、させるのです!神様の心だけをされるイエスは、神様に愛されていることを知り、愛によって行動されます。愛されていることが分からないと、従うことは難しいことです。愛されていることがわかってこし、ご自分のしたいことでなくて、神様の自分が体験した愛を、それだけを伝えたいと思うようになります。それは、強制でなくて、自らの心からの願いとなります、①はたして、私はそうでしょうか?21-21節「父が死人を生かし、命を与えるように、子もまた、与えたいと思うものに命を与えます。」「また、父は誰をも裁かず、...すべての裁きを子にゆだねられました」神様の心は誰も裁きたくない、父なる神様の愛です。しかし、父なる神様は義なる方!真理なる方です、なあなあに見のがすことはありませんそのために、子なるイエス・キリストを通して神様の愛を伝えました。24節「~私の言葉を聞いて、私を遣わした方を信じる者は、永遠の命を持ち、裁きにあうことがなく、死から命に移っているのです」イエスを受け入れる者は、永遠の救い、命へ移っています。②イエスは神様の言葉、心だけを伝えるように完全に従順されました。私はどうでしょうか?人間である私は自分を伝えると、傷だらけの自分を伝えてしまいます。イエスとともに痛みや批判も伝えます。今日、再びイエスの愛に戻ってイエスの心だけを伝えます、イエスの愛を知るときに、神様の愛を知るときに、私のために命をかけてくれた父なる神様の愛を知ります、その犠牲、謙遜、ひげまで知ります、その時に、従う、従わないはなく、ただその愛を話したい、知りたい、伝えたい、行いたい、と思います。従順って顔をしかめっ面ですることでありません。神様の愛を知ったら、体験したら、喜んでしたくて仕方がなくて、することです!今日、父なる神様の愛に立って生きます。
 

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