WHOEVER(ヨハネの福音書6章52-59節)54節「NIVではWHOEVERがついています、私の肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日をその人をよみがえられます」普通に、人間的に聞いて難しく、聞こえる聖書箇所なのかもしれません。しかし、まずこの話はユダヤ人にカペナウムにあるシナゴーグで語られた神様のメッセージでした。それは、モーセの時代に荒野でマナを食べたことを知っている、旧約聖書を知っている人々に語られたのです。(予表といいます、これから来ることを予め、表す、という意味)マナを食べて荒野で神様のくださる食物で生きたことは、NTでは霊的な食べ物、天国の食べ物である、天国から来たイエス・キリストを食べて永遠に生きる、ことを意味して今す。わたしたちは、イエスにあって霊的に生きます、永遠に生きるとはイエスを食べると言う、神秘的な結合がないとできません、どうして、私たちに罪に打ち勝てないのでしょうか?古い自分に戻るのでしょうか?習慣的な罪から抜けだせないのでしょうか?イエスとの神秘的な結合、一致がないからです、毎日、イエスを食べ、REAL FOODであり、REAl DRINKを飲んでいないからです、自分の肉体的な力、現実、認めたない、自分の弱さで生きるからです、私にはイエス・キリストが必要です。主イエスは誰でも、わたしの肉をたべ、血を飲む者に、神様と一つにしてくださるために、神様に遣わされて来ました!ハレルヤ!しゅとともにきれることを感謝し、賛美します。私の汚い罪、弱さ、習慣的なこと、すべてを変えるために来てくださったイエスを賛美します、そのために、一部の人や特別な人のために、偏見で選ばすに、WHOEVER、誰でもイエスのところに行くなら、という招待を感謝します、賛美します、そのイエスを伝えます。
No comments:
Post a Comment