REAL DISCIPLESHIPは告白にある(ヨハネの福音書6;60-71)60節「これはひどいことばだ、そんなことを誰が聞いておられようか」66節「こういうわけで、弟子たちの多くの者が離れ去っていき、もはや家ストとも歩かなかった」イエスが私の肉を食べ、血を飲まないといけない、一つにならないといけない、という霊的な意味を理解できず、というよりもイエスをメシアとして受け入れずに、人々が(しかも、弟子たち)と書いています。どれほど、ショックなことでしょうか?私なら、大きな衝撃です。その時にイエスは12弟子たちに尋ねます。まさか、あなたがたも離れたい、と思うのでないでしょう。すると、そのペテロの答えがいかしてます!「主よ、私たちがだれのところに行きましょう。あなたは永遠のいのちの言葉を持っておられます」と言います。まったく、何でも自分が一番先に答えないと気がすまなくて、それでいて、ずばっとやってくれています。(時々失敗しますが、僕はもっとですね!)でも、今朝、思わされたのは真の弟子とは、失敗しない人でなくて、人格的な条件でもなくて、駄目な人でも、失敗する人でも、イエスをメシアとする告白にある、と思いました。それは、離れていった人々には優秀な人々や、すごい人がいたかも知れません。しかし、それよりも大事なのは、イエスを信じる信仰告白です、そこに、私の人生の土台、揺れないものがあります。今朝、いろいろ揺れる時にも、私の主イエスが永遠のいのちを持っておられることを告白し、賛美します、私の主は生きておられます。
No comments:
Post a Comment