Friday, January 30, 2015

STOP TO GRUMBLE(ヨハネの福音書6章41-51節)41節「ユダヤ人たちは、イエスは私は天から下ってきたパンである、と言われたので、イエスについてつぶやいていた」イエスについて理屈を言ったり、偏見を言ったり、して神様の預言者の書を知りながらも、多くのユダヤ人たちがイエスが来られたのに、信じませんでした。それどころか、イエスについてつぶやき、迫害するようになりました、旧約聖書の預言を神様によって教えられるなら、NTの預言の成就であるメシアなるイエス・キリストが今現実におられるのを分かるはずです。イエスの教え、生き方、行動を見れば分かるのに、つぶやいたのです。47節「信じるものは永遠のいのちを持ちます」、と言われたイエスは 48節「いのちのパン」でした。神様が私たちを救うために、イエスを使わされたのです。神様を見たことがない私たちに見ることができるように、イエスは人間になられたのです。こう考えると、現在の私たちがイエスを見たことがない、とか、目で見える神様って言う議論が馬鹿らしくなります。彼らは見ていたのに、信じず、拒否し、迫害して、つぶやいたのですから。さて、神様は神の分からない私たちのために、イエスを送ってくださり、愛の分からない私のために愛であるイエスを人生をもって示してくださいました、何という愛でしょうか。今朝、イエスの愛を持って歩みます。また、自分がつぶやかずにイエスご自信を見るようにします。イエス様だけ満足であることを告白します。日ごとに、いのちのパンであるイエスをいただきます!満たされ、あふれることを信じ、告白し、宣言します
 

No comments:

Post a Comment