SCRIPTURESは、神様の愛だ!(ヨハネの福音書5;39-47)ユダヤ人たちは、39節「聖書の中に永遠の命があると思うので、聖書を調べています、その聖書が、私について証言しているのです」とあるのに、その永遠の命そのものであるイエスに会えないのです、目の前にいるのに!出会っているのに、拒否しているのです。40節「あなたがたいのちを得るために私のところへ来ようとしません」彼らは、聖書のOTをしっていても、モーセを知っていても、その預言の成就であるメシアに会っていないのです。それどころか、メシアなるイエスを拒否し、殺そうとさえしているのです。彼らは聖書を読んでも、調べても、「神様の愛」に出会わないのです。42節「あなたがたのうちには、神の愛がありません」これを読んでいて思いました。宗教は真理の周りをうろちょろ、するだけか?哲学はかっこいい言葉を言うだけか?異端ははたまた、違うゴールに言ってしまう、なんて、残念なことだろうか?聖書は、神様の愛に満ちて、私たちを呼んでおられるのに!神様の愛そののものとしてイエスが人間になってきてくださった。でも、受け入れない、かえって人間の栄光は受けても、神様の栄光そのものであるイエスは受け入れない!今朝、しっかり①聖書を教えたい、それは聖書は神様の愛想のもの、LOVE LETTERだ!と感じました。②しっかりと、聖書の教え、キリスト教教理(こう書くと堅いけど)を教えたい、それは健康な教え、神様の愛がもった分かる、体験できるように、と思いました、しっかり準備していきます。主よ、助けてください。あなたの愛の中で!
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