Thursday, July 4, 2013

信仰の基本技:神様の声を聞いて、行う

使徒行伝11章8節「しかし 私は,『主よ. それはできません. 私はまだ 一度も, きよくない 物や 汚れた 物を 食べたことがありません 』と言いました. 」9節「すると, もう 一度天から 聲がして,『神がきよめた物をきよくないと言ってはならない.』というお答えがありました. 10節「こんなことが三回あって後,全部の物がまた天へ引き 上げられました.   11節「すると, どうでしょう. ちょうどそのとき カイザリヤ から 私のところへ 遣わされた 三人の 人が,私たちのいた 家の前に来ていました.12節そして御霊は私に, ためらわずにその 人たちといっしょに 行くように,と言われました そこで, この六人の兄弟たちも 私に同行して,私たちはその人の家にはいって行きました.」13節「その 人が 私たちに 告げたところによると, 彼は御使いを見ましたが, 御使いは彼の家の中に立って, 『ヨッパに使いをやって, ペテロ と 呼ばれるシモンを招きなさい. 14節「その人があなたとあなたの家にいるすべての人を救うことばを 話してくれます.』と言ったというのです.
信仰の基本は、神様の声を聞いて行うこと、です。そこには、現実に生きて働く神様がおられます。 祈って気分がすっきりしましたから、もういいです、とか宗教的なものでないのです、主は生きておられ、私の人生を治め、変え、導かれる方です。主を体験することが出来るから何と人生は幸福なものになるでしょう、何とエキサイティングなものになることでしょうか?それを邪魔するものなんでしょうか?人間的な経験、論理的な思考形式、進化論的な思考形式、知識、理性、そして何よりも罪です。時に宗教的なかたちや形式だけで、心のないものが邪魔します。神様の心を聞く、知ることがクリスチャンの最高の喜びなのに、時に宗教と言う枠の中で安らぐ時に感知ががおこります。異邦人の人々は救いを待っていたのに、わずかな距離もユダヤ人クリスチャンは宣教することも出来ませんでした。ペテロは自分自身、①神様の声を聞いた証し、②実際に異邦人である彼らが尋ねてきて、彼ら自身も神様の声を聞いてきた証し(ここらへんで分かってもやよさそう)、③伝道し、聖霊が下り、命にいたる悔い改めを受けた、証をします。今日、神様の声を聞いた証しをします。また、人々に神様の声を聞く恵みをSHAREし、教えていきます。
主にあるエキサイティングな日々を体験します。
  
  

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