信仰の基本は、神様の声を聞いて行うこと、です。そこには、現実に生きて働く神様がおられます。 祈って気分がすっきりしましたから、もういいです、とか宗教的なものでないのです、主は生きておられ、私の人生を治め、変え、導かれる方です。主を体験することが出来るから何と人生は幸福なものになるでしょう、何とエキサイティングなものになることでしょうか?それを邪魔するものなんでしょうか?人間的な経験、論理的な思考形式、進化論的な思考形式、知識、理性、そして何よりも罪です。時に宗教的なかたちや形式だけで、心のないものが邪魔します。神様の心を聞く、知ることがクリスチャンの最高の喜びなのに、時に宗教と言う枠の中で安らぐ時に感知ががおこります。異邦人の人々は救いを待っていたのに、わずかな距離もユダヤ人クリスチャンは宣教することも出来ませんでした。ペテロは自分自身、①神様の声を聞いた証し、②実際に異邦人である彼らが尋ねてきて、彼ら自身も神様の声を聞いてきた証し(ここらへんで分かってもやよさそう)、③伝道し、聖霊が下り、命にいたる悔い改めを受けた、証をします。今日、神様の声を聞いた証しをします。また、人々に神様の声を聞く恵みをSHAREし、教えていきます。
主にあるエキサイティングな日々を体験します。
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