使徒行伝16章16節「私たちが祈り場に行く途中,占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った. 」24節「この命令を受けた看守は,ふたりを奧の牢に入れ,足に足かせを掛けた.」25節「眞夜中ごろ,パウロとシラスが神に祈りつつ贊美の歌を歌っていると,ほかの囚人たちも聞き入っていた.」
今朝、QTをした時に「祈り場に~」というところが心に留まりました。パウロたちは日常的に祈っていたんだな、と思わされました。日常的に神様と会話したんだな、と思いました。そういえば、最初のピリピでの伝道もテアテラ市の紫布商人ルデヤに出会って最初のピリピ伝道、教会のメンバーに合いました。祈る人に神様の事件が、出会いが、奇跡が起こるんだなと思いました。今日の聖書箇所は、祈り場に行くパウロに悪霊につかれた女がついてきて、悪霊を追い出し、癒します。ところが、そのために逆恨みした主人のために鞭打たれ、牢獄に入れられます。そこで、パウロとシラスは賛美をしました。日常でない賛美です。苦痛、侮蔑、いわれのない苦難、怒ってもおかしくない時に賛美しました。それは周りの囚人に影響を与えました。そこで地震が起こり逃げ出しても当たり前の状況で、逃げ出さなかったのです。それは、看守に感動を与えました、この世の中でない、常識はずれの人生に震えを感じるほど、そして「自分から救いを求める」ほど、影響を与えました。福音を伝えるところにサタンの攻撃もあります。しかし、祈る人に、’賛美する人に奇跡が起こること、神様の事件が起こることを期待し、信じ今日一日をいきます。
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