Thursday, July 11, 2013

それでも、喜びと聖霊に満たされる理由

使徒行伝13章;45節「しかし, この群衆を見たユダヤ人たちは,ねたみに燃え,パウロの話に反対して,口ぎたなくののしった.」46節「そこで パウロ と バルナバ は, はっきりとこう 宣言した.「神のことばは,まずあなたがたに 語られなければならなかったのです. しかし, あなたがたはそれを拒んで,自分自身を 永遠のいのちにふさわしくない 者と 決めたのです. 見なさい.私たちは, これからは 異邦人のほうへ 向かいます. 」51節「ふたりは, 彼らに對して足のちりを拂い落として,イコニオムへ行った」52節「弟子たちは 喜びと 聖に 滿たされていた」
使徒パウロたちの宣教は町中の人々にうわさになり、救われる人が起こされます。しかし、彼らは同胞のユダヤ人たちから迫害されます。これはイエスの時も同じでした。彼らの嫉妬と妬み、そして口汚くののしる、普通、現在の日本人、私たちクリスチャンがこんな待遇を受けたらどうでしょうか?きっと夜も眠れない、痛みや悩み、苦痛でないでしょうか。しかし、使徒パウロたちは違いました、ユダヤ人が永遠の命に相応しくない態度をとっていることを明らかにしながら、異邦人への福音伝道が進むことを喜びました、またそれが神様の計画であったことをはっきり宣言しました。私たちにとって迫害や攻撃、非難が大事な福音を伝えるのに、足かせになったり、倒れたりすることがないでしょうか。初代教会のクリスチャンよりはるかに弱い私たちです。何故、初代教会のクリスチャンはそれでも、「喜びと聖霊に満たされた」のでしょうか。それは、神様の御心に従うこと、何よりも福音を伝えることを一番の喜びとしたからです。非難されること、攻撃されることに時間をとられると、神経を持っていかれると、一番大事な福音を伝えることが難しくなります、その時間が取れれていきます、サタンも攻撃してきます、今日、福音を伝えることを自分の神経、考え、時間の優先にしていきます。本質にこだわる喜びを持ちます。非難、攻撃を沈めていきます。主よ助けてください

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