Wednesday, July 10, 2013

クリスチャンのアイデンティは証人

使徒行伝13章31節「イエス は, ご 自分といっしょにガリラヤ からエルサレムに上った人たちに,幾日もお現われになりました. きょう,その人たちがこの民に対してイエスの証人となっています.」
今朝、使徒行伝のQTをしながら気がついたことは、福音を伝えた時に、自分たちの紹介をする段階になると、使徒たちのアイデンティは「いつも、どこでも、イエスの証人」だな、ということでした。それ以上もそれ以下もありません。イエス・キリストの救いをはっきりと伝えます。彼らはそれだけでなくて、しかも、イスラエルの指導者、そして民衆たちが旧約聖書の預言のとおり来られたイエスを十字架にかけたことをはっきりと言います。そして、その罪を示し、悔い改めを話します。いいにくいことでないでしょうか?自分の立場や社会的なことを考えると難しいことでないでしょうか。しかし、彼らのアイデンティはクリスチャン、イエスの証人です。ある意味で迫害がないのであれば、まともに信仰生活をしているのかどうか?自分自身試されることです。どこでも、いつでも、イエスの証人として①聖書の約束実現、②私に、あなたに救いの言葉来たこと、③悔い改めと罪の結果、④信仰の決心を伝えて生きます。

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