Saturday, July 13, 2013

神様の恵みだけを報告しているか!?

使徒行伝14章26節、「そこから船でアンテオケに帰った.そこは,彼らがいま成 遂げた働きのために,以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった.」27節「そこに 着くと, 教会の人々を集め,神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと, 異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した.」
パウロたち一行は、無事に第一次宣教旅行を終えてシリアのアンテオケに帰ってきます。そこは、彼らが宣教師として祈りと断食を持って送り出されたところでした。彼らはアンテオケの教会の人々に宣教報告をします。それは、すごくシンプルなものでした。神様が異邦人に信仰の門を開けた、ということだけでした。使徒行伝を呼んでいてすごくシンプルで、人間的な感情や苦労を書いていないことに気がつきます。迫害にあっても、そこでの不満や不平を言うこともなく、福音のために前進し続けます。自分の話や感情が先でありません。そこには、純粋に神様になされたことだけが書かれています。神様のみわざだけを報告しています。果たして、私ならどうでしょうか?自分のことを先に語ったり、苦労を話して、慰めを求めたり、しないでしょうか?それが悪いとは言いません。しかし、純粋に神様のみわざ、心だけを話す姿勢があるのでしょうか?そのほうが、祝福なのです、栄光をささげるほうが恵み、祝福が神様に、人々にあるだけでなくて、自分にも一番来ます。今日、主イエスのことだけを、神様の心だけを話します。

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