偶像礼拝するヤロブアムの罪(1kings13;1-10)ヤロブアム王が、祭壇に香ををたくために立っていたときに、一人の神の人がユダからべテルにつかされました。偶像礼拝をしているヤロブアムは、①人々を偶像礼拝によって、マニュピュレートします(つまり、偶像を利用しているのです)、②罪を人々に犯させます、③自己権力をていじします、④自分勝手に行きます、そこには人に頼っている恐れが陰にあります。しかも、神様の祭壇を利用して、混合して、偶像礼拝をしていたのです、こんなことを指導者、リーダーがしていたら『やばい』ことです。→今朝、まず黙想したのは「上にいる人々のためにとりなすことでした、教会、多くの指導者のために祈ります」次に思ったことは、ヤロブアム王が神様の祭壇を利用していたら、当然の裁きが神様から来たことです(それは、神様の心を痛め、神様の名前を辱めることでした)。神様の権威を恐れないヤロブアムは、この神様のメッセージに怒り、神の人を捕まえようとしました。しかし、4節『すると、彼に向けて伸ばした手はしなび、戻すことができなかった』とあります、リビングライ...フの解説にあるように『手』とは、力を意味します。ヤロブアムの力が失われた、ということです。そこで、ヤロブアムは「あなたの神、主に祈ってください」と頼みます。そして戻ったのを見て「私と一緒に家に来て、食事をして元気をつけてください、あなたに贈り物をしたい」7節、と言います。ここには神様への悔い改めがありません。祈ってもらうときにも『自分の神』でないのです、自らが悔い改めることがなかったのです。しかも、人間的なトラブルを起こしたときにする方法で、いきなり食事、贈り物(賄賂ですよね)をしようとするのです。最後まで残念なのは、ヤロブアムは神様の悔い改めのチャンス、回復、和解を持つことがなく、自分の権力でイスラエルを持とうとした、ということです。裁きのメッセージをもらっているのです。今朝、とりなしの祈りをしていきます、素直に謝る、回復のために歩みます。そして、もう一つ神様の人は『食べてはいけない、飲んではいけない、同じ道を歩んではいけない』と神様から言われました。今日のQT箇所まではしっかり守っています。主の言葉を預かる人は責任と厳しさがないといけません、主の前に厳しさを自分自身へ持って生きます。神様の言葉に従っていきます。
No comments:
Post a Comment