何で、ここまでするの!?という神様の愛(1KINGS15;1-8)レハブアム王の息子、アビヤムが3年間、南ユダ王国の王でした。ですが、彼が残したのは「彼は父がかって犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のように、彼の神、主とまったく一つになっていなかった」3節ということです、すべての罪を犯し、犯させ、神の心と一つでなかった、としか3年の統治なのに、記録されていないです。こんなさびしいこともないのでないでしょうか?しかし、もっと、驚きべきことは4節「しかし、ダビデに免じて、彼の神、主はエルサレムにおいて彼に一つのともしべを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを硬く立てられた」というのです、なぜ、そこまでしないくてはいけないのでしょうか?北イスラエルも大きな罪を犯し、神様の裁きを待っているのに!!!それは、そこまでされるのか?!という神様の深い愛、あわれみです。そして、相手が裏切っているのに、約束守られる、契約を一方的に守られる主の誠実なご性質です。今日の適用です、①神様の基準は、ダビデが基準です。それは、神殿を建てる、繁栄をしたよりも、神...様の前に誠実であるのか?遥かに難しい基準です。②主の前に残されたLAMP(ともしび)を残すこと、祈りのともし火をもってLAMP(LAのために祈ります)していきます。③ダビデのように、何をのこすでしょうか?ソロモンは、神殿を残しても、罪の遺産だけを残し、信仰の遺産をダビデのように残しませんでした。その歩むべき道を残しませんでした。基準を子孫に残す、道を伸すこと非常に重要でないでしょうか?私は残すべきものは、何でしょうか?主の目の前に誠実に、正しいことを残すことでないでしょうか?そのために、「大事業をする」とかより「主の前に信仰を持って生きる」という価値観を持っているでしょうか?!聖書から価値観を作ること、主にある信仰の友の交わりを持ちます。④主のコマンドを守っていきます。何よりも、そこまでされる神様の愛に希望があることを信じます。(今日は、PHIのユダヤ人博物館から)
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