この世のならわしまねていないか?!(1KINGS14:21-31)人生で、人にとって、クリスチャンにとって、大事なものの一つが価値観でないでしょうか?また、信仰を持つ、持たないでもっとも違うものが「価値観」からくる「習慣」生き方でないでしょうか?今日のQTでは、レハブアムが「異邦の民のすべての忌み嫌うべきならわしをまねて行った」24節あります。そこには、神殿男娼がいた、とわざわざ記録されています。レハブアムの生涯を短く、まとめると、①自分の傲慢のためにイスラエルを分裂させ、ユダだけ残った。②統治五年目に早くも神殿を奪われる、③偶像礼拝をし、ひどい罪を犯し、主を怒らせた、だけです。何も残るものがありません。それは、最初の彼の母はアモン人であった、と21節と31節に重ねて紹介されます。それは、おそらく違う異邦(神様を信じない、偶像礼拝をする)の文化をもってきた、価値観を持ってきた、ということでしょう。しかも、「良いならわし」でなくて、「すべて」の「忌み嫌うべき」ならわしを持ってきた、というのです。その普通でない、罪の堕落はエジプトに攻められて、主の神殿の踏みにじられ、略奪されて、繁栄をも失ってしまいます。罪の堕落は、繁栄をも失わせます。今朝、思いました。この国のために、町のために、故国のためにとりなしの祈りをしよう、と思いました。レハブアムは奪われた神殿の金の楯の代わりに青銅の楯を使います、でも、そんな形だけは意味がありません、必要がありません。力がありません、本当にすべきことは低く、謙遜になることであったはずなのです。悔い改めるはずだったのです、今朝、この国、町、CHのために、自分のために謙遜に悔い改め、とりなしの祈りをしていきます。(今週の礼拝のお花です!毎週、すごいでしょ!)
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