残酷な不従順の代価をみてチャンスをつかめるか?!(1kings13;25-34)ヤロブアム王に、南ユダから来た神様の人は、神様の「そこでは食べるな、飲むな、もと来た道を帰ってはならない」という神様の言葉に不従順しました。そのために、ライオンにかまれて殺されたのですが、そのなきがらは、道端に投げ出されて、人々に通りがかりみました。ここから学べべき霊的な教訓は何でしょうか?①それは、神様のみ言葉は従っても良い、従わなくても良い出なくて、従うことです。従わないとこんな惨めな結果になる、ということです。②しかし、それは強要されるものでなくて、自ら従うものです。③主のみ言葉に従順しないときは、必ずハッキリ、そのことの代価が来ます。これをみて、ヤロブアムはどうしたでしょうか?相変わらず、悔い改めもせずに、①悪い道から立ち返らず、②レビ人でなくて、一般人から、誰でも志願をするものを祭司にしていたのです。これは、③宗教を利用とした大きな罪です、自分のために神様を利用とすると大変なことになります。誰でも宗教の大事なポジションに神様のCALLING無しにするなら、①...自分のために、自分の栄光、権力のために、②自分の利益、③お金のために、④名声のために、することになります。宗教と言う名前の罪は恐ろしいものがあります。自分のために偶像を作り、利用する人は破滅を持ってきます、まして、国の指導者です、大きな悪い影響があります。ですから、神様は14節「ヤロブアムの家が罪を犯すこととなり、ついには、地の面から根絶やしにされるようになった」のです。ここから学ぶことは何でしょうか?悔い改めるときに、STOPすべきときにできないと大変なことになる、残酷な代価だけが待っている、ということです。それにしても、神様は憐れみ深い方です。悔い改めのチャンス、み言葉に従うチャンスをヤロブアムに下さったのです。今日、主のみ言葉に従い、日ごとにくい改めをしていきます。また、指導者として主に仕えていきます。(写真は、先週の教会の献花です)
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