Tuesday, August 9, 2016

勇気を持って神様の約束の地をとりにいく理由(JOSHUA18;1-10)

18:1 さて、イスラエル人の全会衆はシロに集まり、そこに会見の天幕を建てた。この地は彼らによって征服されていた。18:2 イスラエル人の中で、まだ自分たちの相続地が割り当てられていない七つの部族が残っていた。18:3 そこで、ヨシュアはイスラエル人に言った。「あなたがたの父祖の神、主が、あなたがたに与えられた地を占領しに行くのを、あなたがたはいつまで延ばしているのか。
相続位置が割り当てられてない7つの部族がいまだにいました(なんと過半数の数!です)。彼らにJOSHUAは、神様の下さる地をとりにいくように、「いつまで延ばしているのか!」といいます。そして、彼らに3人の偵察たち、をだして、主の前にくじをだして割り当て地を当てるようにいいます。黙想しました、なんと神様の約束の地があるのに、いつまでも、伸ばして、怖がって、こもっている姿勢は、目の前に、現実に座り込んでいる姿は、信仰を持って、神様に頼らずに出る姿勢は、まるで現代の、じっーと座り込んでいるクリスチャンの姿、まるで私の姿、でないか?と思われされました。伝道してみたけど、挫折して、難しく思って、できないと思っている、自分でGLASS シーリングを作ってしまっている、自分の人生はこれ以上できない、自分で、神様と相談せずに決めてしまっている人、のようだと思いました。そんな私に、クリスチャンに、主は言われます。偵察たちを送って、神様の約束の地をとりに行きなさい、といわれます。信仰は消極的なものでありません、まして概念的なものでありません。待っている人は何も得れません。それどころか、失ってしまいます。JOSHUAはそんな彼らに、優しい、愛の心を持って(羊飼いの心ですよね)「とりにいきなさい」と言います。今日、主に会ってたちあがります
。(このQT,2日たって書いているのですが)このQTした後で、連絡すべき人を2人、また誘って声をかける人を逃してしまったことに気がつきました。私が信仰もって立ち上がらないための失敗です。せっかく、神様のメッセージをもらったのに、のです。主に会って立ち上がっていきます。

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