Wednesday, August 3, 2016

敵はいろんな方法でやってくる(ヨシュア9;1-15)

9:1 さて、ヨルダン川のこちら側の山地、低地、およびレバノンの前の大海の全沿岸のヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちはみな、これを聞き、
9:2 相集まり、一つになってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとした。
9:3 しかし、ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行なったことを聞いて、9:4 彼らもまた計略をめぐらし、変装を企てた。彼らは古びた袋と古びて破れたのに継ぎを当てたぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、9:5 繕った古いはきものを足にはき、古びた着物を身に着けた。彼らの食料のパンは、みなかわいて、ぼろぼろになっていた。9:6 こうして、彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国からまいりました。ですから、今、私たちと盟約を結んでください。」
ヨシュアとイスラエルの民たちの敵(神様の敵)は、①合同して戦いを挑んでくる王たちと、②変装して、計略を持ってやってきたギブオンの住民のような人々に分かれます。彼らは、古びたパン、着古したサンダルと服、古びた袋、継ぎを当てたぶどう酒の皮袋をもって、盟約を結びにきます。その時に、ヨシュアも、長老たちも、その時に主に聞かずに失敗をしてしまいます。それにしても、イスラエルは聖絶の問題、敗北とあった後で、再び攻撃にあい、失敗してしまいます。思えば、ギブオンの人々の①エジプトで神様のなさった奇跡のNEWS、②最近のヨルダン川のエモリ人の二人の王にしたこと、を聞けば時間的におかしい、とも思えることもあったのでないか?と思いますが、だまされてしまいます。今回のヨシュアのQTを黙想し、考えるに、イスラエルは弱い、ということです。神様がいないのであれば、ということです。クリスチャンは神様はいないのなら、弱いことを自覚し、どんな些細なことも主に聞くことが必要です。でないと、私は弱く、判断力も、知恵もないものである、ということです。今日、主の前にみことばに聞き(箴言の聖書通読)、と祈りを持って使え、求め、奉仕していきます

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