7:19 そこで、ヨシュアはアカンに言った。「わが子よ。イスラエルの神、主に栄光を帰し、主に告白しなさい。あなたが何をしたのか私に告げなさい。私に隠してはいけない。」7:20 アカンはヨシュアに答えて言った。「ほんとうに、私はイスラエルの神、主に対して罪を犯しました。私は次のようなことをいたしました。
7:21 私は、分捕り物の中に、シヌアルの美しい外套一枚と、銀二百シェケルと、目方五十シェケルの金の延べ棒一本があるのを見て、欲しくなり、それらを取りました。それらは今、私の天幕の中の地に隠してあり、銀はその下にあります。」
7:24 ヨシュアは全イスラエルとともに、ゼラフの子アカンと、銀や、外套、金の延べ棒、および彼の息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、それに、彼の所有物全部を取って、アコルの谷へ連れて行った。7:25 そこでヨシュアは言った。「なぜあなたは私たちにわざわいをもたらしたのか。主は、きょう、あなたにわざわいをもたらされる。」全イスラエルは彼を石で打ち殺し、彼らのものを火で焼き、それらに石を投げつけた。7:26 こうして彼らは、アカンの上に、大きな、石くれの山を積み上げた。今日もそのままである。そこで、主は燃える怒りをやめられた。そういうわけで、その所の名は、アコルの谷と呼ばれた。今日もそうである。アカンに、ヨシュアは彼の罪を告白させます。アカンの盗んだものは、決して少ない少量のものでありません、聖書を読んで決して少し目がくれんで運んでいった、というポケットにこっそり、という量ではありません。それは、けっこうな量の盗みであり、おそらく自分ひとりでなく、家族など、ほかの人の助けが必要なはずになります(どうやって、一人隠すことができるでしょう)。このアカンの罪のためにイスラエルは神様の関係が壊れました、神様の臨在を失い、戦争に負けました。アカンは、見てほしくなり、とあります。目の欲、罪が、目の前の現実だけが、目に見えなくても、臨在の神様がいわれた命令を守られせなかったのです。それは、「これくらいいいいだろう、ばれないだろう」という罪でした。①今日、目に見える欲に気をつけます、見ることに注意します。また、アカンはイスラエルが約束の地をとりに行く大事な戦争であること、自分たちイスラエルの共同体のことを考えませんでした、何よりも、彼はくじでひかれる最後の瞬間まで、告白をしなかったのです。②ヨシュアは、最後まで罪を告白しない、逃げようとする、しらをきろうとするアカンに罪を告白させました、今日、主の前に罪を告白させる事実を引き出す、告白のミニストリーをするように祈ります。③アカンたちは、家族や所有物ともにアコルの谷に連れて行かれました。それは、彼らアカンたちが決して貧しい人たちでなくて、所有のある一族であり、ひとつの共同体として力があったことがわかります。そこで、アカンと一族、所有物さえも石で撃ち殺されて、焼かれます(所有物さえも)、それは、罪をまったく残さない(もしも、所有物を残したら、そこへまたおかしい、処分、分配に困るでしょう、戦国時代なら手柄にあった人に渡されるところでしょうが、違います)、今日の三番目の適用は、罪は徹底的にこわす、処分するです。それは、神様の祝福を疑うことです。また、共同体を壊す罪、小さい、大きい出なくて、罪は罪であること、断固として処分をしないといけないこと、まずは自分から。そして、主にある聖なる共同体の正しい、厳しさを持っていくようにします。
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