Wednesday, August 3, 2016

神様の祝福とのろいの疑似体験させるヨシュア(ヨシュア8;30-35)


8:30 それからヨシュアは、エバル山に、イスラエルの神、主のために、一つの祭壇を築いた。8:31 それは、主のしもべモーセがイスラエルの人々に命じたとおりであり、モーセの律法の書にしるされているとおりに、鉄の道具を当てない自然のままの石の祭壇であった。彼らはその上で、主に全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげた。

8:32 その所で、ヨシュアは、モーセが書いた律法の写しをイスラエルの人々の前で、石の上に書いた。
8:33 全イスラエルは、その長老たち、つかさたち、さばきつかさたちとともに、それに在留異国人もこの国に生まれた者も同様に、主の契約の箱をかつぐレビ人の祭司たちの前で、箱のこちら側と向こう側とに分かれ、その半分はゲリジム山の前に、あとの半分はエバル山の前に立った。それは、主のしもべモーセが先に命じたように、イスラエルの民を祝福するためであった。 8:34 それから後、ヨシュアは律法の書にしるされているとおりに、祝福とのろいについての律法のことばを、ことごとく読み上げた。
 
 
ヨシュアは、エバル山とゲリジム山に分かれて祝福と呪いとの律法を読みます。エバル山に全焼のいけにえ、と和解のいけにえささげてから、律法を読みます。ヨシュアはAIの勝利の後にこれを行います。以前にも、ヨルダン川を渡った後に、割礼を施す、という小休止をしました。それは、神様に導かれたヨシュアの霊的なリーダーシップです。勝利にのって次から次へと攻めるほうが戦略的に、また効率としていいかもしれません。しかし、神様の約束の地をとりにいく神様の民にとって、大事なのは神様との同行でした。そのために、ヨシュアは霊的な小休止を取りながら、この地へ入っていく意味を教えます。それは、奇妙な疑似体験、ドラマとも言えるような、律法を読むことを体験させました。それぞれに、祝福とのろいを象徴する山を2つにして、相対して、民たちを動員して体験させます。ヨシュアはその前で全部の律法を読みます。ヨシュアは非常に活動的なリーダーシップを発揮します、それは、戦いのリーダーであるだけでなくて、この戦いを通して得るカナンの地へ行く意味、すむ意味は、神様のみ言葉を守って生きることを伝えます。それは、神様の約束(いまだに占領していない、まだまだこれからの、神様の約束の地)の先取りです。いかに占領したとしても神様のみ言葉を守らないなら、のろいの人生で滅ぼされて、この地から追い出されてしまいます。ヨシュアはこの準備をことあるごとにします。今日、ヨシュアのリーダーシップを祈ります。みことばを疑似体験できる、立体的な礼拝、奉仕を祈っていきます。

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