Saturday, March 8, 2014

自分が何を持っているのか?相手が誰かでない

。第一サムエル17章25節「この割礼を受けてない」ぺリシテ人は何者ですか?生ける神の陣をなぶるとは」イスラエルの人々は巨人ゴリアテをみて恐れます。自分は何も出来ないと思います。誰も神様の名前を呼んで祈りません、賛美しません。サウル王さえも権威があるのに、信仰もってリーダーとして影響力がありません。しかし、何もない若者のダビデは違いました。自分が何もっているのか?誰か、関係がありませんでした。神様を侮ることをゆるしませんでした。相手が巨人でも、割礼を受けてない、と断言しました。昨日、一人で路傍伝道に行きました(実はほぼ毎日今週はしました)ある学校に言ったときにINTERNATIONAL PARTYをしていました。思わず、自分が小さく、弱い存在や、恥ずかしい、緊張に押し出されて、一度歩いて祈って戻ってきました。自分が誰かでなくて、なにを持っているのかでなくて、イエスがいるクリスチャンとして、教会として路傍伝道して声をかけてみました。主イエスを誇り、その力を信じて歩みます、まだまだですけど、もっとはっちゃけて伝道します。主イエスのみなを賛美します。

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