(第一サムエル19章)1節「サウルはダビデを殺すことを、息子ヨナタンや家来の全部に告げた。しかし、サウルの子ヨナタンはダビデを非常に愛した」4節「王よ、あなたのしもべダビデについて罪を犯さないでください。彼はあなたに対して罪を犯してはいません、彼のしたことは非常な益となっています」ヨナタンは、ダビデのことをとりなしました。サウル王の殺害計画をダビデに知らせて。ヨナタン自身がとりなしをすることをかってでました。ヨナタンは父に、王よと王様の前に出ます。これは、父という関係を抜いて、権威者の前に出ることです。彼は命をかけてダビデをとりなしました。間違った父に、王様に、「罪を犯さないでください」とはっきりと彼の過ちを伝えながらも、ダビデの貢献が命をかけたものであったか、証ししました。ヨナタンがダビデへの神様の思い、正義を伝えたのは、何のためでしょうか?ただ、愛するためです。神様の友って教会のこういうことでないでしょうか?教会の交わり、クリスチャンの交わりってこういうことでないでしょうか?あまりに遠い自分がいます。今朝、私の仕える教会、地域教会のために、普遍教会のために祈りました、愛するだけでダビデを救う奇跡が起こりました。今日のリビングライフの表題のとおりに人を生かしました。愛する人を生かす教会、バイスタを、主がされるように私を、私たちを用いてください。
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