Monday, March 3, 2014

悔いることの無い神様が悔いる、

第一サムエル15;35「サムエルは死ぬ日まで、二度とサウルを見なかった。しかし、サムエルはサウルのことを悲しんだ、主もサウルを王とされたことを悔やまれた」サウル王は、主なる神様が王として退けられたことを聞いて、謝りつつも「民を恐れた」とまだいい訳をします。そして、礼拝に行かせてください、人間的な問題へのアフターケアをしようとします。これこそ罪の自己防衛システムです。しかし、サムエルは神様の心をはっきり語ります。今朝、気がついた主のしもべの特徴は①罪に対して徹底的にNOと言います、アマレクの王をずたずたに切ります。戦士でもないのに!です②神様への徹底的な従順です、人より神様を畏れるからです。③それでいて、愛を持っていることです。はたして、私はどうでしょうか?神様が悔いるようなしもべにならないよう、祈りました。また、さっきの3つのうちの全部を同時に持つ、本当に難しいことです。義に立つと愛が欠けます。愛にたつのが情に変わったりします。神様、私を憐れんでください、きよい怖れをもいつも持たせてください。

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