(第一サムエル18章、1,8節)「ダビデがサウルと語り終えた時、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは自分と同じほどにダビデを愛した」4節「ヨナタンは着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯まで彼に与えた」ヨナタンはダビデを愛して、与えます、何の装備もなかったダビデに全てを与えて、愛します。しかし、父親であるサウル王は「この言葉を聞いて、非常に怒り、不満に思って言った。ダビデには万を当てて、私には千を当てた、彼にないのは王位だけだ」サウル王は、嫉妬し、怒り、恐れました。神様の下さった勝利、祝福を素直に受け取ることが出来ませんでした。また、何よりも神様の国リーダーは主ご自身であること、自分は神様に立てられているに過ぎない、ということを認めることが出来ませんでした、しかし、ヨナタンはそうでありませんでした。はたして、私は神様の友を得ているでしょうか?人の成功に祝福し、足りないものを喜んで与えているでしょうか?また、愛されているでしょうか。それは、神様の主権の下にあるときにできます、今日、神様の友を与えられて、愛して、生きます。
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