北米LAカウンティトーランス(TORRANCE)にある日系ジュビリー教会のブログです Add:19950 mariner ave #208 Torrance california90503 USA 礼拝時間:日曜日午後1時から 連絡先:minoru@sarang.org
Tuesday, March 18, 2014
同じ怒りでも、違うところからきている
(第一サムエル20章)今日のQT;30節:サウルはヨナタンに怒りを燃やして言った「このばいたの息子め、おまえがエッサイの子にえこひいきをして、自分を辱め、自分の母親の恥をさらしているのを、」サウルはヨナタンがダビデをかくまうのを怒ります。権威や王位は神様からのもであることを忘れる時に、人間的な守りに入ります。そして、人間の力で権力で守れると勘違いします。恐れのあるひとは、傷のある人は、コンプレックスのある人は過剰に反応します。サウルは息子に向かって、王位を譲位しようとする王子に差別用語を使いました、普通に人として、クリスチャンとして無理がある態度、言葉です。34節「ヨナタンは怒りに燃えて食卓から立ち上がり、」ヨナタンは自分のための怒りでなくて、父がダビデを侮辱したことを心痛めました。それは、神様の立てた人を受け入れず、憎しみの中にいることです。今朝、私が黙想したとは、①自分の中にサウルのような傷、怒り、劣等感がないのか?②ヨナタンの従順さ、愛、真摯さ、でした、両方から学ぶ必要があると思いました。ヨナタンだけなら良いですが、本当に正直に見る必要があります。サウルのようにならないようにある部分があるからこそ、神様が語ってくださいます。今朝、主の愛の中で癒しを求めます、主の愛に従順します。
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