Saturday, March 29, 2014

人が話せる人と話せない人

(第一サムエル25章17節)「今、あなはどうすればいいのかよくわきまえて下さい。わざわいが私たちの主人と、その一家に及ぶことは、もう、はっきりしています。ご主人はよこしまな者ですから、だれも話したがらないのです」ダビデはナバルの羊たちや、若者たちを壁となって守ってあげました。それは、命をかけて守ったということです。しかし、それに対してナバルは反対の姿勢、とんでもない態度で返しました。怒ったダビデの行動を若者は主人の妻であるアビガイルに伝えます。「どうしたらいいのかわきまえて下さい」と。逆にナバルは「誰も話したがらない」と言います。私は果たしてどうでしょうか?人がアドバイスしてくれたり、もしも、自分が間違った時に痛い言葉を言うときに「聞く耳のある人でしょうか?」また「人が話したい」と思う人でしょうか。愚かさは、人の話を利かない高慢さから始まります。自分が正しい、と思うところから始まります。今日、人の話を聞く謙遜さを持ちたい、と思います。移民教会の中で聞ける、話せる人になりたい、と思います。また、アビガイルのように謝る時は徹底的に、最高以上のものを持って仕える勇気を持って来たい、と思います。その力は主イエスから来ます。主イエスにある謙遜なリーダーとして仕えます。

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