Tuesday, February 24, 2015

裏切る弟子と、同じ共同体にいたイエス(霊の激動を感じる時、JESUS WAS TROUBLED IN

裏切る弟子と、共同体にいたイエス(霊の激動を感じる時、JESUS WAS TROUBLED IN SPIRIT)ヨハネの福音書13;21-30節、21節「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、私を裏切ります」イスカリオテのユダは、弟子たちという人生共同体の中に、運共同体の中に、神様のミニストリーの中に、神様の国を広げようとする中にいました。①裏切られる、どれほど痛みと苦痛と、まさに。霊の激動を感じることでないでしょうか?どれほど、傷つくことでないでしょうか。②しかも、その人はともに生活してきたのです、イエスはご存知で何度も悔い改めのチャンス、しかも今日のQT箇所では、わざわざ誰が裏切るのか、動揺する弟子の中で、シモンペテロがヨハネを使って誰が裏切るのか尋ねさせ、「私がパンを浸して与えるものです」とイスカリオテのユダを示しているのに、みながその場で分からなかったようです。なぜなら、「あなたがしようとしていることを今すぐしなさい」とイエスがイスカリオテのユダに言ったのに、(1)祭りのために入用のものをかえ、(2)貧しい...ものへ施す、と弟子たちは思ったのです。今日の黙想です、①裏切る人々を愛すること、本当に無理なことです、イエスのなされたことです。どうか、私自身を守ってください、また神様の家族を、教会を守ってください、愛せるようにしてください、共同体にいて最後まで愛したイエスのように、悔い改めのチャンスを与えれるようにしてください、と祈りました、人なら、痛い目にあってしまえ、となります。②イスカリオテのユダが、お金を預かっていたことから、信用される人であり、有能な人であった、ことが分かります。神様のミニストリーの真ん中で、誘惑があります、サタンのマニュピレートがあります、主の栄光といいながら、自分の評価されること、栄光、ポジションを求めます。真理に嘘を混ぜるのが、サタンは得意技です。霊的な戦いがあります。サタンの支配でなくて、主イエスに従う、主イエスご自身にとどめれるよう祈ります。心の戦い、主にゆだね、主に賛美します。主イエスの愛に従います。今日も、日ごとに悔い改めます。
 

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