イエスの言葉を握る人が自由を体験する(ヨハネの福音書8;31-47)31節「もしあなたがたが、私の言葉に留まるなら、あなたはわたしの弟子です」32節「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」どうして、私たちは自分の弱さに縛られるのでしょう、自分に固執するのでしょう、自分の経験に、自分のプライドに縛られて自由になれないのでしょう。それは、イエスの真理の中に留まらないからです。神様のみ言葉に生きないからです。どうして、ユダヤ人たちは旧約聖書を持っていながら、メシアなるイエスが預言どおりに現れて生きられて、神様の愛を示されたのに、神様が人として生きてくださったのに、神様の証言をしてくださったのに、受け入れなかったのでしょう。彼らはアブラハムの子孫であり、自由と言いますが、アブラハムの子孫である遺産は信仰の遺産です。信仰によって義とされる、行いでなくて恵みによる救いです。それは、神様の愛を分かち合う人生で、世界中に伝えていく役割をしていくことです。ところが、律法と自分たちのポジションにこだわり、自分のプライドにあるために、固執のために、神様の救いを受けることができませんでした。と言うより拒否したのです。今日にリビングライフの解説に、イエスといつも交わり、語り、行動することを弟子の道と言います、とありました。自分でなくて、イエスの真理が私のうちに留まるなら、イエスの真理を知れば知るほど、自由になる、み言葉を(聖書)とどめる祝福を経験していきます。
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