Wednesday, February 25, 2015

神様の栄光は、苦難を通して(成功主義でないこと)ヨハネの福音書13章31-38節

神様の栄光は、苦難を通して(成功主義でないこと)ヨハネの福音書13章31-38節「わたしがいくところに、あなたは今はついてくることができません。しかし、後にはついてきます」イエスは31節「ユダが出て行ってとき、イエスは言われた。今こそ人の子は栄光をお受けになりました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました」イエスの栄光は、受難、苦難、裏切られて、十字架にかかり、拒否されて、殺される栄光です、単なる成功主義ではありません(成功が悪いのでありません!あしからず)。それは、父なる神様の心である、人類の救い、魂の救いのために、人の子を地上に2千年前に遣わし、神様の心を行い、人生で生きて、十字架にかかる従順から来ます。韓国語で그가 오신 이유という「彼らがこられた理由」という賛美を思いだました。この世の中で一番美しい涙、従順、十字架の従順、という賛美です。それは、単に祈ったら神様に聞かれた、という祈りの水準でなくて、自ら願って、主イエスの心を行う、したい、と思う、従順から来ます。しかし、イエスははっきり言われます、今はついてくることができない、十...字架は寂しい、孤独の道です。でも、同時に人の力ではできないことです。ペテロはいのちをかけてついていきます、と言いました。しかし、イエスは三度否認する、と宣言されました。リビングライフにあるように、一度なら間違いました、失敗はあるでしょう、と言えます、いい訳にもなるかもしれません。しかし、三度と言うには習慣的です、人間のもともとの性質がいかに神様に従順するのが、難しいか、ということです。イエスは言われます、34節;新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。と。わたしがあなたがたを愛したように。あなたがたも、互いに愛し合いなさい。イエスの愛で、十字架の愛で、愛しなさい、ということです。人の力でなくて!主イエスの命がけの愛で、愛しなさい、ということです。それはまさに、人の力では出来ないこと、自分に死ぬことです。イエスの弟子になることは、成功や行いでなくて(その中に愛があれば良いのです)愛し合うことです、イエスの弟子とは、ひとりでなれません。愛する関係、共同体の中ですることです。今日、わたしの力じゃなれないことを告白します。イエスの愛で、自我に死ぬことを祈ります。主の栄光は、自分の力じゃさえぎってしまいます。イエスの愛で歩みませてください。https://www.youtube.com/watch?v=I3Y6s0Sy1QA
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