目的が癒しだけじゃいない、神の栄光のため!(ヨハネの福音書11章1ー16節)15節に「私はあなた方のためすなわちあなた方が信じるためには、私がその場に居合わせなかったことを喜んでいます、さあ、彼のところに行きましょう」イエスの愛するラザロが病気でした、癒しに来てください、というマルタ、マリアの声を聞きながらも、イエスはさらに2日そこに止まられました。それは、主の栄光のために、死で終わるものでない、あらかじめ宣言されました。①私たちは、なぜすぐに神様が答えて下さらないのか?疑問に思い、試みにさえ会うことがあります。しかし、それは主の計画です。人は病気になるし、問題も抱えます。でも、問題さえ、解決しても主との関係がなかったらどうでしょう?②また、問題が解決しても次がきます。繰り返し試みに会うのでしょうか?③死で終わらない神様の力があるなら、他のどんな問題を恐れる必要があるでしょうか?④神様は、ラザロ、マリヤ、マルタの家族を愛しておられました。決して奇跡や神の栄光のために人を利用されません。私たちを愛してくださるのです。⑤イエスを神の子と信じるために、この大きな奇跡はなされます。今日のリビングライフでは、まだ奇跡の箇所は起こっていません。今朝、QTしながら、むかし金サムエル先生が病気の人、亡くなった人生き返らせてください、そうでないと日本列島はひっくり返りませんから、と祈ったと説教の中で話されたことことを思いだしました。今朝、何も起こりそうもない私の現実、日本の魂に、主の栄光がなされることを信じます。そして、主に期待して行きます!(さあ、彼のところへ行こう)主イエスの栄光を期待して、感謝し、賛美します。
No comments:
Post a Comment