Wednesday, February 25, 2015

犠牲のため来られたイエスと自分のポジションのため生きる宗教人(ヨハネの福音書11:47ー57節)

犠牲のため来られたイエスと自分のポジションのため生きる宗教人(ヨハネの福音書11:47ー57節)50節『一人の人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたに得策だということも、考えに入れていない』宗教人たちは、自分の人気、立場、現生勢力を得るために、イエスを妬みから殺そうと画策しました。それは、徹底的にメシアなるイエスを認めようとしなかったのに、メシアなるイエスが十字架でしなれることを預言し、認めることになりました。イエスは自分の立場を捨てて、すべての人の犠牲となるために来られました。逆に、宗教人は自分の立場を得ようとするために天国の命、全てを失うことになりました。霊的な目が開かなかった、もしくは開こうとしなかったために、このような人生を、ましてイエスを殺そうと歩みました。まら、イエスは52節『ただ、国民のためだけでなくて、散らされている神の子を一つに集めるためにも死のうとしておられることを預言したのである』きょう、神様の語ってくださったビジョンは全世界に、北米に、LAに散らばっている神様の子を集めなさい、というビジョンです。この時に主の民を集めていきます。
 

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