新しい命を生み出す感動があるのか?!(ヨハネの福音書9;13-23)14節『ところで、イエスが泥を作って彼の目を開けられたのは、安息日であった』イエスが目の見えない人を癒したことへ、ユダヤ人たちはパリサイ人の前に連れて行きました。普通なら、目が見えるようになったことをともに喜び、感謝し、主に栄光をささげるのが、普通、当たり前でないでしょうか?!宗教家の特徴は、自分の経験に当てはまらない、自分の派閥でない、自分の立場を危うくすること、徹底に裁く、排除します。それどころか、相手を攻撃します。そこには、感動がありません。救われた人への愛、喜びがありません、そこには、平安がありません、恐れが自分にも、相手にも与えます。逆に、イエスは平安を与え、勇気を与えます。なぜなら、命を捨てて、十字架にかかるために、その人生をかけて、地上に来られたイエス、その愛を与えるために、自分の子であるイエスを送られた愛、を知るときに、感動する時に、大胆な信仰の告白をするようになります。不信の雲を吹き飛ばしていきます。はたして、Q:私は宗教的な、馴れ合い、自分に合う人とだけど、合うことだけしていないでしょうか?新しい命を生み出す感動に共に参加し、ともに使えようとしているでしょうか?キリストにある自由、大胆さを持って歩んでいきます。
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