5月24日のQT(マラキ1;1-5)愛されていることが分からない人生はつらい。
今日からマラキのQTです、聖書通読でなくて、本当に落ち着いて、深く、マラキを読む、しかも、こんな短い箇所から学ぶのは初めてかもしれません。しかも、1節「宣言」で始まるのが2節「わたしはあなたがたを愛している、と主は仰せられる」とあるのです、どこの世界へ宣言が愛している、と始まるのでしょうか?神様だけでないでしょうか。神様の愛とは、ヤコブへの愛です。彼は正しく、真面目な人だったでしょうか?お兄さんをだまし、逃げて、逃亡先で結婚しても、だまし、だまされている、そんな人を一方的に愛し、一方的に選ばれたのが神様の愛です。私を考えた時に、私の過去の過ち、足りなさを思って、主に愛されている!と考えたら泣けてきました。私は愛されている!その神様に愛されている人生の価値はどれほどでしょうか!それを知ったら、他の人々や教会の人々がどろほど愛されているのか?!と思うと、もっと、神様に愛されていることを知る牧者にしてください、世界に流す牧者にしてください、と祈りました!愛されている、それなかったから、人生の意味が分からない、ないです。主に愛されてい人生を生きます。私も主を愛します。
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