6月24日のQT:汚れたパンを人にあげれるのか?(マラキ1;6-14)以前に、マイケルオー先生がメッセージの中で「日本人はすごく礼儀正しくて、ある日プレゼントを上げると次の日に同じ金額くらいの別のプレゼントが来るくらいなのに、創造主なる神様にどうして礼儀がないの?」というようなことを言っていたことを思い出しました。果たして、その話はリアルに聖書に書いていました。「子は父を敬い、しもべはその主人を敬う」6節「どこに、私への尊敬があるのか?」と言われます。7節「あなたがたは」私の祭壇の上に汚れたパンをささげて、どのようにして、私たちがあなたを汚しましたか?と言う。」考えたら、人に汚れたパンをあげるなんてありえないことであり、最大の侮辱です。人間関係が壊れて、どれほど後にまで引く、大変な問題を起こすのか分かりません。でも、私たちの礼拝は、どうでしょう?日本の民は、クリスチャン、いや人のことでなくて、私はどうでしょうか?「さあ、今恵みを受けるために神に願ってみよ。~受け入れてくださるだろうか!」ありえない話です。しかし、以前の私はどうだったでしょう?今の仕える私自身のいけにえ、としての生き方はどうでしょう。主よ、悔い改めます。最善、最高のものだけを、最高以上の神様にささげます。
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