Sunday, May 4, 2014

ダビデと豊臣秀吉の違い


ダビデと豊臣秀吉の違い

第二サムエル2;1-17

ダビデは、1節「」サウル王が死んでから、すぐにエルサレム行こうとしませんでした。それは、王様になることを急ごうとしませんでした、自分の力で王様になろうとしなかったのです。神様に、主に伺ったのです。自分の方法や自分のタイミングで王様になろうと、奪おうとしませんでした。それが、豊臣秀吉と違いだと思いました。自分の主君の死のときにタイミングを失わずに、天下を取りました。しかし、ダビデはそうしませんでした。横から見ると、じれったい、この世のタイミングと違う、感じがします。しかし、神様の国に生きる人はそうでありません。まず、神様に伺います、主に聞きます。それは、自分が主でないことです。自分のタイミングでなくて、主のタイミング方法で行きます。その結果は、へブロンに上ることでした。そこから、さらに数年の7年6ヶ月かかって、王様にダビデはなります。簒奪したのでありませんでした。そうでなかったら、ヤベシュ・ギルアデの人々をほめることも出来なかったでしょうし、そのほめる言葉も人間の二重性を感じること、誠実さを感じることの出来ないことだったでしょう、すごい、としか言い様がありません。の今日、神様の方法、時で歩んでいきます。主の栄光のために私の人生を治めてください。主の栄光のために歩ませください。

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