Thursday, May 29, 2014

ダビデとして生きるのか?アブシャロムになってしまって生きるのか?

今日のQT(第二サムエル15章1-12節)ダビデとして生きるのか?アブシャロムになってしまって生きるのか?アブシャロムは狡猾に、準備深く、イスラエルの人々の心を(特に不満という部分につけこんで)盗みます。不平不満あるひとに、不平を受えつけて(それは、アブシャロムの心の中にある王様への不平、不満でした、妹への被害、アムノンへの裁きをしないこと)、それを伝染させたのです。そして、ヘブロンに行って(ダビデが王になったところです)何も知らない人々を連れて行った根深い謀反を起こしたのです。聖書は「この謀反」12節と言っています。なぜ、ダビデは謀反でなくて、アブシャロムは謀反であるのでしょうか?それは、究極的には神様を恐れた人生を歩んだダビデは決して人を裁いたり、復讐の鬼なったり、神様の立てられた方、上の権威を認めて、自分が損しようと、被害を受けようと逃げて、復讐して罪を犯そうとしなかったことです。アブシャロムは違いました「ヘブロンに行くこと」を9節「私は主に仕えます」と誓約した、と神様のことを、利用したのです、これは、神様への恐れがないことです。人は神様のことを使うならだまされます。しかし、神様はだまされる方、侮られる方ではありません。アブシャロムにとって傷や、不平不満が彼の主人になりました、彼の力の原動力になりました。しかし、本当の主人はイエスだけです、傷に支配された人生、不平や不満に支配された人生は、本当の祝福でありません。まして、神様のことを利用するのは絶対にいけないことであり、後で大変なことになります。神様を恐れないといけません、今日、主を恐れ、不平や不満、そこからくる怒りを主人としません、主イエスからいただく愛で愛します、悪に善で打ち勝ちます、また、聖書を、神様を利用しません、まただまされないよう歩みます。

No comments:

Post a Comment