Wednesday, April 2, 2014

神のルールに生きる人は恐れる対象が違う

(第一サムエル26章9節)「しかし、ダビデはアアビシャイに言った。殺してはならない。主に油注がれた方に手を下して、誰が無罪でいられよう」ダビデは、主を恐れます。神様の権威を恐れます、権威に従います。神様の国のールールで生きます。決して、自分の敵に復讐しません。サウルは、ダビデが600人しかいないのに(しかも、不平や不満のある人々だった)、イスラエルの精鋭3000をつれてダビデの命を狙います。どちらが、恐れているのでしょうか?本当に恐れるのは、罪の連鎖、復讐はしたら終わりでありません。次の復讐が私に来ます。何よりも、神様のゆるし、愛に反します。これは、難しいことです。以前に3人の王(ジーン・ゲッツ:ハングルで読みました)という信仰の本を読みました。それは、サウル、ダビデ、アブシャロムという3人でした。神様の復讐、ゆるしの訓練をとおして、ダビデがダビデであれた、永遠の王座の祝福を得たメッセージの本でした、今でも、自分にとって大事な本です。私は人を恐れるのでしょうか?神様を恐れるのでしょうか?ゆるしをすること、自由、永遠の祝福へのゆるしの訓練を願うのでしょうか、それとも、目の前の怒りに縛られて生涯の祝福、働きの祝福を縛られることを拒むのでしょうか。今日、もう一度、いや今日も主の赦し、愛、罪からの鎖からの自由を宣言し、祈ります。

No comments:

Post a Comment