Monday, April 21, 2014

信仰によって完成することを伝えよ!(

きょうのQT  :ガラテヤ3;1-9)「ああ、おろかなガラテヤ人、十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、誰があなたを迷わせたのですか」使徒パウロは「おろかなガラテヤ人」と言います。普通、人に向かっておろかな、と言わないでしょう。本気でないと言えない言葉です、しかも手紙ですから、記録に残ります。何がおろかなのでしょうか?それは、十字架にかかったイエス・キリストをあんなにはっきり示されたのに、行いによって、肉によって、律法によって、自分が完成される、と勘違いしたからです。信仰を迷ったからです。それにしても、こんなことを言わないことを言います、それは、ひとえにイエス・キリストの救いが信仰によること、なされたのは神様であり、私たちは信仰で受け取っただけ、御霊を受け取ったのは、神様からのギフトだからです。そのことを伝え、教えることに恐れがなく、異端が入ることには、容赦なく伝えました。今朝の適用は(個人的ですから、他の人にあたることでありません)イエス・キリストの十字架を、信仰を勇気もって伝え、教え、指導せよ、ということです。人の目や、関係を人間的に考えすぎずに、まっすぐにイエスの十字架を伝えていきます。

No comments:

Post a Comment