Thursday, September 5, 2013

主のTRIALのとき

士師記3;4節(QT本文1-11)主なる神様が戦いを知らない世代に、神様の命令に聞き従うかどうか?試み、知るために「残されたカナンの民がいた」とあります。何故でしょうか?そのようなことをされたのでしょうか?本当なら、主に従って戦うなら、主がカナンの民を追い出してくださったはずなのです。しかし、信仰を持って彼らは出ようとしませんでした。そこで、神様のイスラエルへの、クリスチャンへのTEST2とTRIALが始まります。やはり、イスラエルの民はどうかしてはいけないカナンの文化、民と結婚をして、簡単に偶像礼拝、偶像に仕えることが始まります。私たちは、私はどうでしょうか?交わってはいけないラインを妥協していないでしょうか?簡単に入れてはいけない世の中の(悪い意味の)文化を自分の大事なところに入れてしまい、影響を受けて、気がついたら大変なことになった、ということはないでしょうか?この朝、私自身確認したいと思います。また、その中でイスラエルの民たちが叫び求めると「救う救助者、オテニエル」を起こした、とあります。その前にイスラエルの民が罪を犯した時に、「売り渡された」という表現があります、REDEEMERなる神様(贖い主)が売り渡す、という表現に驚きました。それでも、主は叫び求めると救う救助者を起こしてくださいます。私たちをもう一度贖いだしてくださいます。今日、主のTRIALに神様の救いを信じて応えて生きます。

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